2026.05.06

Q. 利用者さんやその家族からのクレームに頭を悩ませています。クレームそのものと言うよりはむしろ、家族への対応に職員個々が同じような説明をしているにもかかわらず、微妙に伝えているニュアンスが違い、その差異に家族が不審に思う、といった感じです。最近とくに権利主張を繰り返される利用者や家族への説明に頭を抱えています。

A. クレームへの対応については、いろんなレベルがあろうかと思います。
介護事故等のヘビーなものについては、「事故は必ず起きる」を前提に、事故を起こさないための取組みと、事故を起こした後の対応の二点に問題が集約されます。

また、些細な要望や希望というレベルのものでは、職員にとってみれば「些細な…」ことのように認識したとしても、当の本人や家族にとってみれば、要望や希望をスタッフが聞いた段階で、「期待」がうまれるわけです。その期待を裏切ったとしても大きなトラブルにはならないのが一般的なのですが、介護事故等のヘビーなトラブルが起こった際、今までの「期待の裏切り」がマグマのように噴出し、事実からみた是非よりも感情的な問題に発展しやすい特徴があります。

そのなかで一番のポイントは、「伝え方」ですね。「記録」も大事なんですが、その前提に「伝え方」つまり、「説明責任・義務の果たし方」についてお話しします。

結論から言いますと、「説明の上手なスタッフは、記録も上手」という事実があります。この説明と言うのは、「おしゃべり」ではなく、あくまでも「説明」です。

一般的に、若手新入社員にとって、この「伝える=説明する」ことを苦手とする傾向は否めません。それは、彼らが能力的に低いからという理由では決してありませ ん。「慣れていない」ということです。原因は、彼らが受けてきた教育や生活環境に原因があろうかと思っています。少子化に伴って、一人の子どもに大勢の大人が関わっているわけです。子どもは、言い訳も含めた自らの欲求を要求するまでもなく、大人が先に準備してしまう環境にあるわけです。また、皆さんが受験したであろう介護福祉士や社会福祉士、またケアマネの試験形態も、五択での選択なわけです。「分からなければ、とにかく2番みたいな…」。

ですから、準備されたものを選ぶことに慣れている彼らですから、説明することを求められた場合、「どこから説明をすればいいのか…」、戸惑ってしまうわけです。

最近の介護事故をめぐる裁判でも、介護職員の説明責任や義務が問われたものに注目が集まっています。

この裁判は、高齢者施設に併設しているデイサービスを利用していた85歳で要介護2、そしてまったく認知症が無い女性が、午後3時頃送迎のバスを待ってソファーに座っていたところ、念のためトイレを済まそうと前方にあった障がい者用トイレに向かったわけです。それと同時に介護職員は障がい者用トイレの入り口まで利用者を歩行介助したのですが、「自分一人で大丈夫だから」、「ここからはいいから」と利用者から二度強く拒絶されたため、介護職員は持ち場に戻ったわけです。職員は、利用者がトイレから出られたら歩行介助をしようと考え、相手にもそう伝えていたのですが、その後、利用者が障がい者用トイレ内で転倒され、右大腿骨頚部骨折となった事例でした。

争われた点は、利用者から強く拒絶されたとしても、職員に障がい者用トイレまで介助する義務があるのか、というものです。皆さんの事業所でも認知症が全くない方の自己決定と、介護職員の対応について、この事例と同じような葛藤があろうかと思われます。

結果、裁判所は「…介護拒絶の意思が示された場合であっても、介護の専門知識を有すべき介護義務者においては、…介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして繰り返し説明し、介護を受けるよう繰り返し説得すべきであり、それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ、介護義務を免れることにはならない。介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性を説明しておらず、介護をうけるように説得もしていないのであるから、歩行介護義務を免れる理由はない」という判断を下し、法人側に7割の過失を言い渡しました。

つまり、「繰り返し十分な説明義務を怠った」というのが理由です。

ですが、実際の介護現場で、とくにデイサービスの帰りで最もバタバタとしている時に、認知症のない利用者へ介助を受けた場合に防げるであろうリスクと、介助を受けなかった場合のリスクについて、それも二回以上もの説明責任が存在するものなのかどうか、私も非常に疑問に思っています。とくに、当人に認知症が無いのであれば、完全に自己決定権による自己の判断ですし、かつ排泄という非常にナイーブな行為に対して判断です。現実的に現場レベルの人員体制、業務の流れをみれば、この繰り返しの説明義務という点は、非常に現実的ではないジャッジであると言わざるを得ません。

一方で、高齢者を対象とした過去10年間分ほどの裁判争点を整理すると、遺言関係や証券関係、株の取引きや訪問販売、そして有料老人ホームの高額入居金の解約をめぐるものなど、場面設定は多岐にわたりますが、論点でみるとそのほとんどが「判断能力が低下している高齢者への説明責任」を問うものでした。

つまり、すべての業界でいま、「説明責任」を問われる環境におかれていると考えた方がよさそうです。そういう意味では、介護業界での「説明責任」について、これまで十分に義務を果たせてきたかというと、疑問が残ります。「互いに心で分かり合えている」といったいわば疑似家族のような状況が一方で存在し、また相手が認知症等で判断能力のない方である分、「説明をして理解してもらう」より、「私たちがお世話をしている」という関係が強かったからに他ならないからです。

これから様々な難しい家族の出現が予想されるなか、利用者への説明責任はもちろんのこと、より家族への説明義務の果たし方が問われるように思います。

「正確に伝える。のではなく、相手が理解できるように伝える。」ということです。