事件は現場で起きている

事件は現場で起きている

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Q41. 月に一度の法人内職員研修では、毎回、先生の連載を使わせて頂いております。 いつも、「もし、自分の施設で同じようなことが起こったら…」と置き換えながら、職員と一緒に、科学的介護を目指しながら日々頑張っております。ですが、先日、う つ病傾向であった介護スタッフが、処方されている薬を大量に飲み、命に別状はなかったものの、自殺未遂を起こす事件が起こりました。一歩間違えば、部下を失って しまう所でした。自殺未遂をしたスタッフはまだ入院しているのですが、職場には同じようにうつ症状っぽい職員が複数いるものですから、非常に心配しております。アドバイス頂けると幸いです。 

A41. この数か月間で、介護スタッフがうつ病によって自殺をした、また未遂であった、というご相談が非常に多く寄せられました。今回のご相談と同じように、法人トップである施設長からのメールがほとんどでした。

最近の資料でも、過労や仕事上のストレスからうつ病など心の病で労災を認められた例が、昨年の1.5倍にあたる475人と過去最多を更新したようですし、このうち自殺や自殺未遂をした者も過去最多ということです。社会的にうつ病に対する認知度が高まっていることも影響してか、一昔前と比べて自らがうつ病であることを平気で公言できる環境にあるのもまた事実です。ですから、「うつ病だから働けない」ではなく、「うつ病でありながらも仕事をさせる」という視点が、法人管理者には求められ ると考えています。

過去にも、介護や医療の現場でうつ病により自殺した職員の過重勤務と、法人側の安全配慮義務違反が問われた判例はいくつか存在します。大きく分けて二つの争点が考えられます。一つ目に、過重な業務と自殺との因果関係です。二つ目が法人トップである使用者に安全配慮義務違反があるのかどうかです。

一つ目の業務と自殺との因果関係についてですが、過重な業務がうつ病を引き起こし、それによって自殺したのか、またうつ病であった職員にとって過重な業務が圧し掛かった為に自殺してしまったのか、という点については、それぞれの場合によって対応の仕方が異なります。ここでは、一般的な順番としまして、長時間かつ過密な業務に従事するなかでうつ病を発症したという前提でお話をします。ここで問われる「過重な業務」は、タイムカード等で打刻される労働時間からある程度明らかになります。ですが、介護現場では新たな事業の立ち上げや恒例となっている行事を実施する場合には、当然のことながら勤務時間外での働き方が求められます。ポイントとしては、タイムカードやパソコンのログインとログアウトから労働時間を判断し、長時間に及ぶ過重な時間外労働や、行事遂行のための役割等を務めることによる強度の精神的ストレスが、一時的なものではなく近い将来解消される見込みもないような状況であったと客観的に示されれば、過重な業務とうつ病発症との相関関係が問われるこ とになり、そこから業務と自殺との因果関係が判断されるわけです。

ですが、大きな借金や病気、家族や友人関係とのトラブルなど、業務以外にうつ病の発症や、自殺との関連のある事項もキーワードになります。ただし、業務外である このようなかなりプライベートな諸問題について、法人や施設の管理者が知り得る情報であるかどうかといった点も課題として残されておりますが。

つぎに、法人としての使用者の安全配慮義務に関しては、職員の勤怠管理をタイムカードのようなもので実施している場合、労働時間が長時間に上っていることが理解でき、労働内容的にも手伝わせる人員を補充する等、一定の配慮が必要であるのかという視点から判断されます。つまり、タイムカード等で労働時間を把握もせず、職員が適切な業務遂行をなし得るような人員配置の整備、また時間外労働の減少に向けた適切な指示等を、管理者が行わずに漫然と放置しているような場合には、職員の心身の健康に配慮し、十分な支援態勢を整える注意義務を怠ったと判断されるわけです。

法人として事前に予防できることとしては、該当する職員の既往症など、健康診断等の結果からどうであったのか、現在のフロアーや部署に異動する前に、うつ的傾向は見られなかったのか、実際の残業時間は同じ業務をしているだろう職員と比べ、多いものだったのかどうか、などからある程度の推測と、リスクヘッジが図れるかもしれません。つまり、裁判でも使用者である法人が、職員の自殺を「予見できていたか」が問われることになるわけです。

ですが若い職員の自殺とは、複数の要因が引き金となり、計画的なものではなく、かなり衝動的な行為であると予想されます。「既往症もなく、あんなにも元気だったのに、こんなことになるなんて」と、家族や友人であったとしても、理解できないケースが多く存在します。なおのこと職場での管理者が、「予見」できるにも限界があるわけです。「予見」についてのポイントを紹介しますと、時間外労働という残業時間と、通常の業務以上に過度なストレスがかかるかもしれないと思われる業務内容 がカギになります。

同じ業務を行っている職員と比べ、残業時間が多いであるだとか、人事異動による配置換え、たとえば特養での勤務であったものが、デイサービスに移動になり、急に利用者の家族との接触が増えたであるだとか、デイサービスの定員を満たすために、特養の業務ではなかった地域への営業活動が増したであるだとかの働く上での環境が 変化したような初期に対しては、サポートする人員の補充や、業務・責任の分散などの配慮が必要となります。逆に、これらの配慮を行っていれば、法的なトラブルに なった際、法人全体を守ることにつながるわけです。

また、「うつ的症状がある」との職員本人からの申し出や、管理者も含めた秘密が守れる複数の職員からの聞き取りによって、著しく業務に支障が発生している場合な どには、業務命令という形で医師への診察を勧め、ケースによっては休職命令の手続きを促すことも必要となります。

現在、特別養護老人ホームをめぐる環境は、大きく変化しています。過去の連載でも何度か取り上げましたが、家族からのクレームは以前より増してエスカレートする傾向にありますし、今後、団塊の世代が一気に介護サービスを利用する層になれば、彼らの要求も高くなることが容易に想像できますから。また、国の方針としても、一法人一施設の時代ではなく、M&Aを含めた多施設化が推奨されるなか、短期間の間に複数の施設を運営しなければならない時代でもあります。ただでさえ、介護人材の人手不足が深刻な状況のなかでの多店舗展開となれば、近いエリアでの新事業所の設立である場合、アメーバ—的に現有スタッフの何割かが新しい事業所に移動となり、残りが新たな採用人員となるわけです。そうであれば、介護の「質」もアメーバ—的に何割か後退することを意味するわけです。

このように、いまの介護現場を支える職員の働き方は、残業という名の業務外労働と、自己犠牲的な「志」や「想い」に支えられているのが実情でしょう。どうして、多くの残業と自己犠牲的な感覚で仕事に向かうことができるのか。それは、「お年寄りが好きだから」であるだとか、「利用者を放っておけない」といった気持ちが大きいからです。

法的な視点から締めくくりますと、使用者の安全配慮義務違反による債務不履行の時効は、なんと10年間なんです。介護職員が磨滅し、うつ病になったり、自殺未遂という事故があった場合、10年前のことが遡って法人を脅かす火種にもなるということです。施設長、今からの備えを十分にお願いします。

Q42. 私のところは、特別養護老人ホームとケアハウスが併設し、また上層階には有料老人ホームを有する法人です。先日、有料老人ホームに入居されている軽い認知症のある女性の方が、ある音楽グループのコンサートに行きたいと強く主張されたものですから、ご家族に連絡し、ご本人の希望通り連れて行ってもらえないか、とお願いしました。すると、「-施設の職員の方が、いざという時の判断に慣れているし、おばあちゃん自身もその方(職員と一緒)喜ぶから…」という返答でした。入居者に確認したところ、「-家族よりも、あなた(職員)との方が楽しい…」という回答で、介護スタッフの分のチケットも入居者が支払われ、彼女にとっては念願のコンサートに行ってきました。しかし、その帰りにタクシーから降りようとしたところ転倒し、右大腿骨の頚部を骨折してしまいました。
家族からのクレームにまでは到っていないのですが、高齢者の要望について、家族がするべきことなのか、また施設で実施する方が望ましいのか、施設の責任と、家族の責任との境界が分からなくなる時があります。

A42. この相談は、都内にある法人の施設長からメールで頂戴したものです。内容だけをみても、法的に問題となりそうな点が多々ありますが、今回の質問については、質問に対する回答ではなく、「どこまでが家族の責任であるのか」に限定して、解説を試みたいと思います。
 
ちなみに、前月の質問メールで最も多かった内容を精査すると、今回のケースも含め、「家族の責任」についてのものが多くありました。たとえば、施設内で介護事故が起こった場合に怒鳴り散らされる家族からのクレーム等、「―それは家族間での問題でしょ…」といった性格のものです。
 
今回の質問のように、より具体的で今日的なケースについて、じつは「親の面倒をいったい誰が看るのか」という問いかけは、民法学者のなかでも論争にまでなった、とても古くて新しい、いまだ解かれていないテーマなんです。
 
先程の参議院選挙で圧勝した自民党の改憲草案でも、前文に「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」とあり、24条1項に「家族の助け合い義務」の規定を新設するほど、家族の責任や役割が問い直されています。
 
今回の質問内容とも重なりますが、高齢者施設と家族責任については、利用料をめぐって、高齢者とその家族、また扶養義務者間である家族同士での費用の分担について争うケースが最近では目立ちます。扶養申立事件の裁判例でも、扶養されている高齢者がグループホームに入所しているその費用のうち、被扶養者の収入額を超える部分の負担をめぐって、扶養義務者間の経済状況等を詳細に認定し、家族らに負担すべき額を言い渡した事例が存在します(東京高平17.3.2決定)。

年老いた親の面倒…。いったい誰が看る義務を負うんでしょうか?
現在の民法第877条では、面倒を看る扶養義務者について、次のように規定しています。①.直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。②.家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合の外、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。③.前項の規定による審判があった後事情に変更を生じたときは、家庭裁判所は、その審判を取り消すことができる。また、扶養の程度・方法については、同法第879条で、当事者に協議が調わないとき又は協議をすることができないときは、扶養権利者の需要、扶養義務者の資力その他一切の事情を考慮して、家庭裁判所がこれを定める。というものです。これらの規定は、戦前の「家」制度を中心とした封建主義的な親族関係からの脱却を意図して、夫婦とその間との子どもを基礎にした扶養理論への転換を意味しているわけです。

ですから、現在に到っても法的な考え方としては、配偶者と未成熟子に対する「生活保持義務」と、年老いた親の面倒看に対する「生活扶助義務」とに区別して考えられています。著名な民法学者の文学的な表現をお借りすると、配偶者と未成年の子に対する「生活保持義務」は、「最後の一片の肉、一粒の米までをも分け食らうべき義務」とされ、老親の扶養義務である「生活扶助義務」は、「扶養義務者が自己の地位相当なる生活を犠牲にしない程度」と規定されています。

これらは、誰が、どこまでを扶養するのかといった程度を明らかにしているものですが、方法としてはあくまでも仕送り等の経済的扶養であり、介護を伴うような引き取り扶養までを意味するものではありませんでした。現在、介護を伴った親の面倒看について、民法上の規定はなく、法的な整理がされないまま、介護保険制度が始まったと考えられます。

しかし、現在の介護保険法の中でも、保険料の徴収について保険料収納率に問題のある国民健康保険制度の二の舞いを演じぬようにと、世帯主や配偶者にまで連帯納付義務を課している点や、また現実には介護サービスを利用した場合の1割の利用料を、扶養している家族がその足らない部分を負担するなどの経済的扶養を行っているケースが多々存在します。

「介護を伴う親の面倒を、誰がどの程度まで行うのか…」という今回の質問について、法的には拘束力を含めた扶養の規定はありません。法的に存在しないんです。
となりますと、現在考えられる老人介護と家族との関係については、財産を分け与える代わりに介護をしてもらうという扶養契約型、また第三者によって介護の提供を受けるという有料老人ホーム入居型が考えられますが、介護をめぐっては、「個人」、「家族」、「社会」、「市場」という四つのレベルで考えなければならない複雑な様相であることだけは確かなようです。

ただ、現状を整理しますと、厚生労働省の2010年に実施された国民生活基礎調査では、高齢の親と成人の独身者だけで生活している世帯の割合が約400万世帯と、増加傾向にあります。また、在宅で介護をしている者の続柄では、「嫁」から「娘」へと割合が逆転し、くわえて「息子」に介護される老親の割合も増加しています。

ドラマに出てくるような、最期を涙で締めくくる「家族介護」を理想とするには、難しい経済事情と社会環境の大きな変革がなければ、絵に描いた餅にしか過ぎない「家族による助け合い」となってしまうんでしょうね。。

Q43. からすの先生、いつも連載を楽しみにしています。毎月の法人内研修の題材に使用させて頂いております。とくに、この四月から入職した新人職員に対し、先生の連載ネタで話をしているのですが、それ以前の問題、たとえば挨拶や礼儀といったマネーの点が非常に気になって仕方ありません。一般企業向けのビジネスマナー講座などの講師を招き、お辞儀の仕方や名刺交換の仕方などを教えてもらったのですが、やはりジャージ中心の介護現場と、スーツ中心のビジネスマンとでは、目的や趣旨が違っているものですから、上手くいきません。何か、いいアドバイスを頂けると嬉しく思うのですが…。

A43. ご相談、ありがとうございました。この「介護職におけるマナーの問題」については、以前から気になるところがあったものですから、今回のご相談に応えるという形でお話したいと思っております。
「お辞儀の仕方や、笑顔の作り方、名刺交換の仕方など形だけのもので、心がこもっていれば問題はない…」と思っている新入社員がいるかもしれません。また逆に、「一般企業には入りたくなかった(入れなかった)から、介護業界に入ってきた…」という方もいるかもしれません。仕事の選び方や動機について、ここでは問題にしません。そんなことは恋愛と同じで、動機がどうであれ最終的に「好き」になればいいことですから。

ですが、その仕事を「好き」になるのも、また「好き」になるきっかけを作ってくれるのも、高齢者やその家族である場合が多いのも事実であることを考えると、最低限の礼儀やマナーというものが必要となります。過去の連載でも書かせて頂いたと思うのですが、いまは介護業界だけに限らず全ての産業界で「説明責任」が問われます。認知症状がまったくなかったデイの利用者が、自らの判断で独りトイレに入り、転倒し訴訟になったケースでも、判決では「繰り返し十分な説明義務を怠った」として、法人側に7割の過失を言い渡したケースも紹介しました。とくに介護の業界では、「(高齢者である)相手に確認ができない約束をしている」という点で、利用者だけではなく家族に対してもある一定の説明義務が課せられるでしょう。

それと同時に、これからの利用者の年齢層が劇的に推移するという高齢者像の変化についても連載のなかで紹介したように思います。つまり、60歳以上の方が、日本国民の三分の一を占めており、最も多い層が64~66歳の方であることも…。

このように、介護サービスを利用する高齢者の層が変わり、そして説明責任がより問われるような現状のなか、マナーを含めた人間関係上での接点や機会が多く求められることになります。サービス業や接客業に近いと思って下さい。

一方、介護現場、とくに特別養護老人ホームというところでは、クレームが最近増加しているとは言うものの、まだ「利用者や家族に救われている」環境は否めません。それは施設内で介護事故が実際に起きた件数と、話し合いでは解決せず、訴訟となった件数との比較からも理解できると思います。めったなことでは裁判なんて起こされないものです。ですから逆に、提訴にまで到るというよっぽどのことがあった場合には、必ずと言っていいほど施設側は負けてしまうわけです。そこにもマナーといいますか、「最後のその一言」が家族の逆鱗に触れて、というケースが非常に多くなっています。介護事故に関する講演では必ずと言っていいほどお伝えしていることですが、「利用者さんや家族のほとんどは、みな多かれ少なかれ施設に対して不満を持っているものです…」と。不平不満ばかりを言っている利用者さんや家族も少ない割合でいますが、それは彼らの性格なだけです。どこにいようとも文句ばかりを言っている人はいるものです。そうではない「いつもお世話になっています」と、お盆の時などに入所者であるおじいちゃんの顔を孫まで連れた家族が菓子箱でも持って見舞いにくる、というのが普通の光景です。その光景に、「本当にこの家族は何ていい人たちなんだ…」と思うのは、まだまだ若い証拠です。いま、特養に入れてもらおうかと思えば、オリンピックを何度観れば気が済むんだと言わんばかりの待機年数です。日本全国の特養の入所者と同じだけの要介護者が待機しているわけですし、回転率は平均13%程と思われますから、特養への早期入所など、ほぼ絶望的な状況です。こうした環境におかれている利用者の家族が、「嫌ならいつでも他へ行ってもらって結構です…」と言われかねないことを覚悟で、施設に文句が言えると思いますか…。過度なクレームをつけてくる家族は、性格以外のことを除くと、よっぽどトラブルに慣れているのか、それとも誰かから知恵をつけられているのかのどちらかです。この場合でも、家族は職員からの「最後のその一言」を逆手にとってくるものです。ここでも職業人としてのマナー違反による一言が大きく関係しています。講演でもいつもお伝えしていますが、「債務不履行」や「過失」、「ケアプランと記録との整合性」などの理解や知識は、裁判で戦うためのテクニカルで後づけ的な要素がかなり強く、そのきっかけは法人のトップも含めた対応の「最初の感じ」で決まるわけです。つまりマナーや礼儀ということです。

では、いまの介護業界の、とりわけ若い介護スタッフのマナーができていないのはどうしてなのか…。それは、「説明ができない」、「書けない」ということと共通する部分ではありますが、躾や学校での教育のあり方にまで遡らなくてはなりません。いずれにせよ、「慣れていない」だけです。敬語の使い方を含め、慣れていないだけなんです。

この3年ほど、「教えて介護保険」の関係で、全国の生活相談員の方や、施設ケアマネだけではなく、管理職の方からもメールを頂いております。多い時で月に1000通以上、少ない月でも500通以上のメールを頂くわけですが、ここでもメールの内容というよりもむしろ、書き方や送り方について首を傾げたくなるものがあります。そのなかで圧倒的に多いのが、署名のないメールです。時節の挨拶や「からすの先生へ」などはどうでもいいのですが、匿名性を意図しているのではなく、あきらかに上司やお願いごとの正式なメールに慣れていない「署名のないメール」が多くなっています。自らの氏名、法人名、法人の住所、電話番号、ホームページのアドレス、電子メールのアドレスなどがないものです。「至急、直接電話での連絡が欲しい」というような匿名性の意味がないメールであっても、署名がなく、どこにどう連絡すればいいのか困るケースが多くあります。携帯電話でのメールや、若者に人気の無料でメッセージが送れるライン等の影響からでしょうか、仲間に限定をした「単に用件が伝わればいい」的なコミュニケーションに慣れ過ぎているものですから、こうなるんでしょうね。

ですが、皆さんのような管理者に近い方にとっては、「そうだ、そうだ」と嘆いていても仕方がありません。部下に何を、どこからさせるのか? 部下に「『自分の癖』を知っているか?」と尋ねて下さい。証明写真を撮る際、誰であっても背筋を伸ばし真っ直ぐに正面を向くはずです。ですが、出来上がった写真を見ると、左右どちらかの肩が必ずあがっているものです。また、あなたが誰かと歩いている時、あなたからみてどちら側に人がいた方が自然でいられますか。そうしたあなた自身の癖を発見することで、「話し方に癖があるのでは…」という気づきから、もっとこうすれば同じ表現でも爽やかに感じられるよ、といったアドバイスが可能になると思います。また具体的なところでは、皆さんが日頃提出している報告書等に、会議日の日付や担当者の氏名は書かれているでしょうか。文章の句読点や、文字の種類、ポイントの大きさなども、「見やすい」かどうかという視点から話し合ってもいいかもしれません。ありきたりな礼儀作法ではなく、気持ちがいいと感じる話し方やしぐさが上手なスタッフが必ずいると思います。「彼・彼女の、何が、どこが気持ちよく感じさせるのか…」。これこそ来月の施設内研修でのテーマにピッタリじゃありませんか。

Q44. 関西エリアで特養の相談員をしている者です。先日の台風18号の影響で、施設の一階部分が床上浸水し、二階建ての施設の一階部分がほぼ水に浸かった状態となりました。これまでからすの先生の連載でも地震や津波に対する備えを十分に、と教えて頂いていましたが、西日本では地震や津波に関しての危機感が薄く思え、当の私も「―まさかここまで…」という感覚でした。今回の台風被害を教訓にと思いますが、今後、どこから手をつけて職員間での論議を行っていけばいいんでしょうか。

A44. 今回の台風18号は、各地で大きな爪跡を残し、はじめて「特別警報」という「数十年に一度程度の…」、「人生に一回あるかないかの…」と表現されるくらいの大きな自然災害でした。テレビやラジオでも、「命を守る行動を…」と呼びかけられていましたからね。
 
2年半以上前の東日本大震災が起こる少し前から、異常気象によって、ゲリラ豪雨やそれに伴う土砂災害、落雷や竜巻といった自然災害が起こり、最近では頻発するような事態となっています。また、東北地方でいえば、震災関連死の方の数が、地震や津波で直接亡くなった方を上回り、「避難弱者」への対策が急務の課題となっています。
 
くわえて先日、東日本大震災時に幼稚園児が送迎バスで帰る際に津波に巻き込まれ5人が亡くなった事件の判決が、仙台地方裁判所で言い渡されました。園を運営する法人と園長に対し、1億7700万円の支払いを命じた内容です。判決によると、「地震発生時、ラジオなどで津波の情報を収集する義務を怠った」ことが、法人側敗訴の理由です。皮肉にもこの園は高台にあり、津波の被害を免れていたことも判決結果に影響したものと思われます。この裁判を皮切りに、学校法人や社会福祉法人、つまり要援護者である避難弱者を抱えている施設での裁判が活発化するものと思われます。裁判という解決方法の是非に関しては、賛否が分かれるとは思いますが、今回の遺族側勝訴という結果が呼び水となることだけは確かなようです。
 
さて、防災対策として「どこから手をつけて、何を論議すれば…」というご質問でしたね。高齢者施設で働く私たちにとっても、先ほどの幼稚園児が亡くなった裁判の争点と共通する課題を抱えています。つまり高齢者も、子どもや障がい者、妊産婦などと同じく災害弱者だからです。先ほどの園児が亡くなった裁判の争点や、その園と同じく石巻市にあった大川小学校の悲劇で課題となった点も加えますと、「(災害の)情報収集する義務」、「すぐさま避難する義務」、また「避難するのではなく、屋内退避(籠城)すべき義務」、「防災・緊急時マニュアルを周知徹底させる義務」等が考えられます。災害の種類によっても異なりますし争点も多岐にわたります。とくに人災でもある原子力災害に対しては、「緊急避難」が求められ、「避難の方法や避難先、避難経路」という視点も加わります。ですが、考えなければならない視点は限られてもいます。
 
いくつかの代表的な争点に沿って、いまから皆さんが論議し、対応すべきポイントをあげたいと思っています。
① 来たるべき災害予報に関する情報収集と、避難すべきなのか、それとも屋内退避すべきなのかについて。
・地震の場合には、「緊急地震速報」が発令されてから、5秒程度以内に震度5弱以上の地震が来ることが予想されます。揺れが治まった後の行動が項目としてあげられていますか?
・余震が続いていると思われますが。施設内放送等を通じて、誰が、何を、指示するのかが項目としてあげられていますか?
・施設内の被害について、誰が、何を、どのように確認するのかの項目があげられていますか?
・施設の外の状況を、ラジオ等を含めて「目視」によって確認する必要があります。その役割と範囲が決められていますか?
・利用者の安否確認という点で、誰が、どのレベルまでの情報を理解し、何にどう記録しておくか決まっていますか? 
・職員の安否と、出勤しているが外出しているスタッフの安否確認の方法が確立されていますか? 
・利用者、職員とも、彼らの家族との連絡方法と手段について整理されていますか?
・どのタイミングで、誰が、何を根拠に避難指示を出すのか、法人管理者が不在の場合も考慮した判断基準を明確にしていますか? 
・避難する場所については、いま設定されている避難場所が適切であるのか、適切であると仮定した場合、避難場所までの距離・方法・時間・障害物等を予測していますか?
・施設の場合、屋内退避という籠城が望ましいケースも多く考えられますが、それが適切ではなく施設の外への避難となった場合、すべての利用者を避難させるのに必要な時間、人員、手段がイメージでき、過去に訓練を実施していますか?

② 防災マニュアルの周知と、災害に対する定期的な訓練について。
・「災害時緊急マニュアル」等は、東日本大震災以降、改定されていますか?
・2011年3月11日以前とそれ以後とでは、どのような点を改定し、その理由について理解できていますか? またその作業や改定されたものをどう職員に周知していますか?
・マニュアル等を周知させる場合のその方法や回数が妥当でしょうか?
・火災を想定した訓練は消防法上でも義務化されていますが、火災のみならず、津波、大豪雨、土砂災害等を想定した訓練になっていますか?
・訓練の際、職員が利用者役に代り実施しているケースを多く見かけますが、訓練そのものがマンネリ化していませんか?
・防災マニュアル等が、実際の行動に移しやすいものに工夫されていますか?
 
以上、裁判で争点になると予想される視点から、リスクヘッジのポイントを整理しましたが、このようなポイントは読んで理解するものではなく、実際に行動ができ、行動できるための項目を頭に叩き込んでおかなければなりません。地震や原子力災害を除いては、気象情報等である程度の「予測」がつくわけです。つまり時間的余裕があるということです。「マニュアルがあるので大丈夫」という意見もよく聞かれますが、緊急時にまったく役に立たないのが緊急時マニュアルなわけです。緊急時マニュアルが不要であるだとか、意味がないということではなく、それらの項目や一連の動作を記憶しパターン化しておく必要があります。それが「最低限の備え」ということなんです。

Q45. からすの先生、いつも連載を楽しみにしております。関東方面で特養の事務局を仰せつかっている者です。労務管理に関することだとは思いますが、お知恵を頂ければと思っております。じつは、この時期、来年度からの新人採用の件で、面接等の事務手続きに追われる毎日です。今回の相談は、新人採用に向けての注意ではなく、うつ病などの精神疾患で休職させている職員が、春に復職の希望を出しているのですが、はたして十分な戦力となり得るのか心配しております。人員配置の関係でも、有資格者でもある復職希望者を1としてカウントすれば、新卒者の枠を減らさなければなりませんし、また復職後にも業務に支障があるようであれば解雇し、新たに新人採用の準備にかからなければなりません。法人としても余分な人件費を抑えなければならない関係から、復職希望者もそして新しい人の採用もというわけにはいきません。以前の連載でも、うつ病等の職員に対する処遇についての回答がありましたが、休職そして復職という場合の手続き的な面で気を付けなければならない点を教えて頂ければと思っております。

A45. ご相談、ありがとうございます。これまでの連載にも書かせて頂きましたが、いま、皆さんの職場をめぐる環境のリスクとしては大きく二つのことが考えられます。一つは災害に対する備え、二つは日々発生している介護事故に対する認識です。しかし、それとは別に三つ目ともいえるリスクも存在しています。それは人材のリスクです。人が集まらないという募集上のリスクと、辞めてもらいたくない人材が去っていくという流出のリスク。それに加えて、辞めてほしいスタッフがトラブルを噴出させながら居続けるというリスクが…。

うつ病等の精神疾患等で、期限を決めて休職させている職員の復帰する時期が迫ってきている場合、また、指示した休職期間内に復職を申し出ているような場合、どのような手続きが必要なんでしょうか?先月に頂戴したメールで約2割を占めたご相談です。

管理者として最も難しい判断です。彼らを休職にもってくるまでの説得だけに止まらず、復職してからの調整、そして復職後のトラブルに関して最悪、解雇というジャッジを下さなければなりませんから。また、判断をより難しくさせている要因が、通常、医師からの診断書によって治療の程度や完治までの目途がつくケガや病気ではなく、うつ病等の精神疾患の場合、診る医師が違えば程度や判断も異なるという点です。なので、法人や施設側に求められる復帰への判断に、裁量の幅が大きくなるというリスクが付きまといます。ですから、法人や施設の就業規則で、復職についての意思決定するプロセスを定めておく必要があります。たとえば、「(介護)職員の休職事由が消滅したと法人が認めた場合、または休職期間が満了した場合には、原則として休職前の職務に復帰させる。ただし、休職前の職務への復帰が困難または不適当と法人が認める場合には、休職前とは異なる職務に配置させることができる。」などの規定です。また、「休職期間が満了しも復職できないと本人の申告があった場合、または法人が判断した場合、原則として休職満了の日をもって退職とする。」という規定も同時に必要となってきます。

ここでのポイントは、「―(介護)職員の休職事由が消滅したと法人が認めた場合」という文言です。休職している本人がかかりつけている心療内科医や精神科医の診断書で「復職可能」もしくは「軽作業であれば可能」と記載されていたとしても、それを法人側が認めるに足る根拠となっているかどうかについては、法人が指定する医療機関による診断書の提出を命ずることができます。「―法人が指定する医療機関による…」という文言も、今後新たに復職規定を設ける際には有効ですから、つけ加えることをお勧めします。これまでの連載でも、「相談員からのパワハラによって、うつ病になった…」と主張された場合の対抗策を載せましたが、過去の精神疾患による労使間での労働裁判も、精神疾患の発症を会社での業務に起因していると労働者側が主張する例も近年多くみられます。その場合でも、業務とうつ病との因果関係が問われるわけですが、休職期間満了時もしくはその前に、復職が可能かどうかの検証を行っていない場合、職員側からは「辞させられた」、「自分は避けられている」との誤解から、それからの話し合いが炎上することも容易に想像できることです。ですから、法人側から主治医に意見を聞くであるとか、法人の指定医の診断を判断材料にするだとかのステップが必要になります。

また、休職期間満了の直前に、話し合いの機会を設け、介護技術等で習熟を要する業務の場合、再教育の方法や手段を、たとえば併設しているデイサービスやショートへの配置転換や移動も考慮した結果であるのか、そして、他の職員との客観的な業務遂行能力上の比較を実施しておくことが望まれます。その上での判断であれば問題はありません。もちろん、頭の中で考えジャッジするだけではなく、その経緯を記録化し、同じような次のトラブルへの備えとしなければならないことは言うまでもありませんが。

つぎに、復職したのち、うつ病等の精神疾患が十分に寛解しておらず、業務の遂行やその責に堪えられない場合、解雇という判断をしなければなりません。厳しいようですが、解雇が必要な場合、その判断や選択を誤れば、事実とは異なる噂話が蔓延する時間的余裕を与えるだけではなく、それらが他の職員にも影響し、ひいては残って施設の柱となってもらいたい有能な職員ほど、やる気をなくし辞めていくことにつながりかねません。

介護現場での職員解雇について、これも以前の連載にも書かせて頂きましたので、復習の意味でポイントのみを列挙します。まず、法人の就労規則などで解雇処分の根拠規定が存在していることや、同じ経験年数や有資格者である他の職員との比較から処分が相当であり、社会通念上妥当なものであるのか、そして解雇処分を言い渡す前に本人に弁明の機会を与えているか、について再度チェックして下さい。
法人または施設内におけるこれまでのリスクといえば、難しい利用者を含めた家族からのクレームや、マンパワーの面での人材不足等が主でしたが、これからは皆さんのところで働く者からの労務管理というリスクも大きな企業並みに付きまといます。とくに新人スタッフには、親離れ子離れできていない親(働く者は未成年ではないでしょうから、保護者という表現は適切ではありませんが…)をも巻き込んだクレームにも対処の方法が必要となってきますので…。
皆さんの職場に辞めた職員の母親が怒鳴り込んでくるというケースも、多々伺っているところでありますから。

Q46. からすの先生、いつも連載を楽しみにしております。先回の「休職者の復職のタイミング」については、非常に参考になりました。施設内でもうつ病で休職し、来年度に復職してくる職員がいたものですから、復職前に法人として注意すべき対応が分かったように思います。感謝です。ところで、当法人でも現在、来年度に向けた採用のために、説明会や面接等を実施している最中なんですが、この面接で一体何を尋ねればいいのか、また聞いてはいけないのか、教えて頂ければ幸いです。有難いことに、有資格者も含めた応募が多くあるものですから。

A46.そうですね。いまは法人の説明会、面接等の時期ですね。みな、同じようなリクルートスーツを着て、「御社は…」「貴社の…」と日ごろ絶対に使ったことがないような言葉をつかい、緊張の面持ちで一生懸命に覚えてきたことを話す応募者の顔が目に浮かびます。いやいや、これは応募者にとって失礼でしたね。ごめんなさい。

皆さんの法人や施設にとって採用のための面接というのは、ほとんどのことが分からない、と思っていてください。面接で分かり得る点としては、声のトーンや大きさ、日本語が伝わり、また話せているか、そして目の動きやまばたきの様子、視線から、第三者とのコミュニケーションが可能か、また精神疾患の有無程度だけなんです。「そんな、失礼な…!」と、応募者からも面接者からも叱られそうですが、面接で分かり得ることは、本当にその程度なんです。
 
たとえば、施設の面接者にお尋ねしますが、応募者の性別はどちらでしたか? 外見上はまったくの女性であったとしても、履歴書欄の性別に男と〇が入っていませんでしたか? 性同一性障害で外見を望む性に整えた方に面接でお会いしたことがありましたから。また、提出されたその履歴書に嘘がないことをどうやって確かめますか? 職歴欄に仕事を転々と、それも短期間で替わっている方の履歴書も多くみてきました。そして仕事をしていない期間も経歴書から判明した場合の、「一身上の都合で…」、「家庭の事情で…」という理由のほとんどがあてにならない情報だということをご存知でしたか? 
 
今回、質問を頂いた方の施設でも、この質問文だけで理解できる面接上のリスクもあります。最後の「—有難いことに、有資格者も含めた応募が多くあるものですから…」の一文です。人手不足が叫ばれている介護業界の中で、選ぶことができる、というのは恵まれたことです。ですが、応募者が多いとなりますと、たとえば一人の管理職クラスが応募者全員の面接を行うというスタイルは難しく、複数の面接者が数をこなしていかなければなりません。一つの面接では面接者は必ず複数態勢というのが原則ですし、そのような面接を曜日や時間を変えていくつも実施しなければなりません。となりますと、面接者の主観といいますか、面接者の好みで採用の可否を決めることにもなるわけです。つまり、面接者によって、採用の判断基準が違ってくるということです。
 
どこの企業でもそうなんですが、人とのご縁から面接という幕が開け、そして育て上げ、法人への貢献につなげるまでの道のりは、非常に困難なことです。なので、人材を「人財」と言い換えることもよくありますよね。
 
では、限られた時間の中で、面接者は応募者に何を尋ねなければならないのでしょうか? 最近、とくに「履歴書に嘘があったり、前職を辞めた(辞めさせられた)理由に、セクハラやパワハラ、そして横領等があった場合、解雇できるのか?」というご相談が非常に多くなっています。労務管理上、これらの点は必ず尋ねておかなければならない類の質問になりますので、以下に説明したいと思います。

結論から言えば、面接で面接官が尋ねなかったばかりに、入職後過去の不祥事が分かったような場合、解雇等の罰則を強いることはできません。応募者は自らの不利益となることについて、自発的に申し述べなければならない法的義務がないからです。勘違いして頂きたくないのですが、面接者がそれらのことについて尋ねたにもかかわらず、応募者が嘘をついていたような場合には、解雇の適用も可能となります。つまり応募者にとって、面接者が尋ねた質問については正確に答えなければなりませんが、尋ねられなかったことについて、面接で不利となる事柄を自ら暴露する必要はないということです。ですから、「尋ねなかった」面接者が、面接者として不十分であったということになります。採用面接とは、法人側が応募者の人物像や意欲、同じ仲間として協力し合えるのかどうかを判断するものですから、法人側としては応募者に対し、誰が面接官になっても必ず聞いておかなければならない共通の質問をあらかじめ決めておく必要があります。ですが、面接者が応募者に対してストレートに「セクハラなどの行為は以前にありませんでしたか?」と尋ねることは、面接者にとってもまた尋ねられた方にとっても、違和感のある問いかけであると思います。これから苦楽を共にするかもしれない仲間に対しての質問としては、少し配慮の欠けた問いかけかもしれません。情報伝達ツールの普及と情報発信の容易さから、「●○の施設の面接では、こんなことを聞かれて腹が立った…」的なツイートが広まる恐れもありますから。

具体的には、前職退職の理由、前職と今との間にブランクがあるようなら、その間に何をしていたのか、退職までの経緯、転職の理由(どうして私たちのこの施設で働きたいのか)、懲戒処分の有無(「懲戒処分」の言葉の意味が分からないことも考えられますから、よりも具体的に)などについては最低限尋ねる必要があろうかと思います。ストレートに「前職までのところで、セクハラなどの問題行動はありませんでしたか?」と尋ねることは法的に問題とはなりませんが、尋ねにくい点であることには違いありません。最終的な確認として、面接の流れをみながら面接者が問いかけ、応募者がYES・NOで返事をし、面接者の手元にあるチェックリストに記入し、複数の面接者で確認する、という作業が現実的です。
 
人手不足が深刻な介護現場では、選りすぐることは難しいかもしれません。また、優しさや穏やかさ、派手(華美)ではないことなどが、介護で働く現場に求められているため、応募者の「人となり」を面接官は見ようとします。限られた時間、空間といった場面設定のなかで、採用していい人なのか、絶対に採ってはいけない人なのか、見極めるのは非常に困難です。企業によっては最終的に残った応募者に対し、興信所等に依頼をし身辺調査や経歴詐称がないかを確認する法人もありますが、介護の業界ではそのようなお金の使い方が積極的に意味をなすものであるとは思えません。可能なレベルとして、面接の結果、内定を出す前に応募者の氏名をフェイスブックやインターネットで検索し、面接のときよりは素顔に近い応募者の情報も調べる程度の努力であれば、皆さんの法人でもできるはずです。
 
最後に、不採用となった応募者の履歴書等は、必ず応募者本人に返してください。その際、返す履歴書の名前が、郵送の宛名と同じであるか、再度確認してください。以前、不採用となった応募者に履歴書等を郵送した際、「他人の履歴書が自分宛てに送られてきた。ということは、自分の履歴書は、別の採用されなかった人のところに渡っているのでは…」というクレームで、多額の慰謝料を支払う羽目になった法人もありましたから。履歴書は、最高レベルの個人情報と考えてください。

Q47. 関東地方の特養に勤務している30代の生活相談員です。先日、デイサービスで働いている介護職員からこのような質問を受けました。「介護の仕事に就いたころからずっと思っていた疑問があるんですが、介護の仕事を『業務』と考えればいいのか、またボランティアや趣味として考え直した方がいいのか、迷っている…」とのことでした。よく聞いてみると、彼の所属がデイサービスだからなのかもしれませんが、「施設長やデイの責任者は、『—デイの稼働率をどうあげるのか、もっと営業をしてお客を増やせ…』的な発言が、どうしても理解できない…」ということでした。相談員として、彼の質問にどう答えればいいのか…。 

A47. この連載をはじめて4年程になりますが、最も難しい質問です。ですが、この半年間だけでも「—これが介護の仕事なんだろうか…」という介護職員からの相談があとを絶たない状況でもありました。しかし、この時期まで記事にするのを躊躇いましたのは、相談者からの個人的な介護観や、見ようによっては法人批判につながるようなものが多かったからです。
今回の質問には、そもそも介護保険制度が孕む矛盾だけではなく、福祉や介護を仕事として勤め上げるために必要となる要素も含んでいると思いましたので、私が考えつく範囲のレベルで問題提起したいと思います。

前回の介護保険法の単価改正を受けたいまの収益構造や、次に予想される法制度の改正案をみる限りでも、特養だけを例にとった場合、売り上げが伸びることはなく、日々の稼働率で収益が見込まれるデイサービスに期待の目が注がれることも当然のことだと考えています。その結果、「—デイの稼働率をどうあげるのか、もっと営業をしてお客を増やせ…』という発想も経営的にはあり得る発言だと考えています。
同じ職場で働く仲間が、相談員であるあなたに尋ねたその意図するところは、すでにお分かりなはずです。「—営業をかけるのが面倒だ。そんなノルマは達成できない…」という趣旨ではないはずです。「営業をかける」、つまり本意ではないにもかかわらず、高齢者に無理やりサービスを使わせ介護報酬や利用料を請求する、という考えに抵抗があるんだと思っています。福祉や介護は、営業をかけてお客を集めるものではない、と。
 
介護保険法の考え方は、過去の連載でもお伝えした通りです。つまり、2000年を境にして、税金でほぼすべてを賄っていた措置制度から、民法上の契約になったわけです。契約制度になった以上、債務不履行責任での訴えを回避するため、ケアプラン別表2であげられている「実施するサービス内容」を約束通り行い、その行為を記録するというプロセスが大切になります。なので、ケアプランと記録との整合性が、「記録を書く」という視点から必要になるわけです。極端にいえば、笑顔や想い、熱意といった感情は、適切な業務という点で二の次三の次でも構わないというドライな発想です。ですが、実際の介護労働というのは人格が労働に大きく影響する仕事でもありますから、介護に対する想いが仕事への動機やモチベーションの確保に必要不可欠であるのも確かです。

電化製品等のように、「いいモノであれば、売り上げが見込め、給与や賞与も期待できる」というビジネスモデルではなく、介護や福祉はニーズの掘り起こしという視点はあるものの、「サービスの提供が必要であると思われる人に対し、十分な人的サービスを提供する」というモデルを採っています。介護保険の取り扱い事業所においては、単価も国が定め、人員や設備、運営に関しても公的な縛りがあるなかでの業態なわけですから、純然たる民間企業モデルでいう「最小の投資で最大の利益」を追求するスタンスとは異なるわけです。だからといって、以前あった措置制度下のように、準公務員的な業務とも違うわけですから、質問にあったような介護職員からの疑問も、遅かれ早かれ突きつけられ、法人や施設としても働き方という点で方針を明確にし、誰からの問いかけに対しても整然と答えることができるようにしておく必要があります。
そのまえに、そもそも論として「なぜ、重度の認知症高齢者に明日も生きていて良いと言えるのか?」、「意識を喪失している高齢者や重度の障がい者に、明日も生き続けて良い理由とは?」について考え、個々の職員が自らの答えを胸にしまっておく必要があると思います。介護保険法の第一条にも、「(要介護者の)尊厳の保持」という文言が、法改正をしてでも追加された表現であることからしても、「尊厳の保持」とは何かについて考えておかなくてはなりません。この「人間の尊厳」については、社会科学系の学問領域にある者だけではなく、医療や福祉、介護の実践現場で働く者にとっては、看取りの実施や延命治療の是非が問われるいま、重要なキーワードとしての位置づけをもっていると思われます。

尊厳という言葉から連想するものとして、「尊厳死」をイメージするかもしれません。尊厳死とは、自らの尊厳が残されているうちに死にたいという意味であり、医療倫理分野の本から抜粋するなら、「自分の症状が悪化して、体力と気力が低下して自己管理ができなくなり、他の人々に依存しなければ生きていけず、ケアされ世話されることで自己の尊厳とプライドが傷つけられる。それを非常に苦にして、自分の尊厳がこれ以上傷つけられる前に患者が死を選ぶ」という考え方のようです。医療の分野で盛んに論議され、また病院等では尊厳死事件をめぐって過去に何度も裁判にまでなり、㈰患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、㈪患者は死が避けられず、その死期が迫っていること。㈫患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法をつくし、他に代替手段がないこと。㈬生命の短縮を承諾する患者の意思表示があること、の4つを安楽死の要件にするなどの法的なガイドラインも作られています。

しかし、介護現場ではどうでしょうか? 認知症からくる問題行動で、尊厳を著しく害されている(と思われる)場合でありながらも、なぜ「明日も生き続けていい、その理由」を巡っては、論議の途中で介護保険の導入が決定してしまい、介護施設の中での主なテーマが「運営から経営へ」と大きく舵を取らざるを得ない環境におかれてしまいました。

一方、高齢者自身の考えはどうなんでしょうか? 日本尊厳死協会が会員に対して行ったアンケート調査でも認知症に対する尊厳死適用を希望する結果が85%にまでのぼり、この4月にも当協会は認知症となった高齢者の「末期」判断をめぐり新たな定義を示したほどです。世間では、認知症と診断された高齢者が、「癌の方が、まだマシだった…」という声にならないつぶやきを発し、多くの高齢者がぴんぴん生きてコロリと死ぬ(頭文字をとってPPK)ことを理想とするなかにあって、その想いの正反対にある特養で働く職員にとって「なぜ、生き続けても良いのか?」という問いを考え続けなければなりません。
「だって、仕事だから。業務だから。」という理由だけでは答えにはならないと思います。その答えがあなたの中で分かった時、利用者である高齢者本人が望むと望まざるとにかかわらず、1500cc以上の水を一日に飲まされ、食事が摂れなければ点滴を投与される、その理由が分かると思います。
ひいては、重度な認知症でわが子の顔さえ分からなくなった利用者に、「もっと長生きするように、頑張ろう」という声掛けをする、その理由が…。

Q48. 特別養護老人ホームに併設しているデイサービスで、管理者をしている者です。いつも先生の連載を読みながら、どこまでが施設(法人)としての責任であり、またどこまでを家族にお願いしてもいいのか、分からなくなることがあります。たとえば、デイを利用されている時に、道を隔てた神社にお参りに行きたい、であるだとか、それほど遠くではないものの先祖のお墓に手をあわせに行きたい、であるだとか…。もちろん、その程度のことであれば、一緒に同行しお付き合いするんですが、「もし、ここで利用者さんが転倒でもしたら、いったい誰の責任になるんだろうか?」と、一緒にお付き合いする行為に戸惑うことがしばしばあります。先生、何かいいアドバイスを下さい。

A48. いつも連載を読んで頂き、ありがとうございます。皆さんのスキルアップになることを考えながら、毎月書かせて頂いております。利用者さんが望まれることを行い、無事に帰ってくることができれば、高齢者にとっては思いが満たされ、皆さんにとっても、利用者さんの笑顔や感謝の言葉を聞くだけで、何物にも代えられないほどのやりがいと誇りを感じることができるに違いありません。しかし、その行為の途中で転倒などの事故が起きてしまったら、善意に近い気持ちから出た行為が、今度は責められる行為に変わってしまいます。

今回のご相談に対し、直接的な、またノウハウ的な答えにはならないように思いますが、興味深い裁判事例が出ましたので、ここに紹介したいと思います。
家族による在宅介護を受けていた認知症の高齢者が、列車に衝突し鉄道会社に損害を与えたことにつき、子どもである長男に監督者に代わる監督義務違反があるとして、賠償責任が認められた事例です。2012年までの8年間で、認知症高齢者と列車との接触に関する事故は149件発生しており、うち115人が死亡していることを考えますと、高齢者の急増によってこのような事故が今後多くなることも予想されます。

具体的には、当時91歳で認知症を患う男性が、線路内に立ち入り列車に撥ねられ死亡したわけですが、そのために発生した列車の遅れや代替列車の手配、人員補充等にかかる鉄道会社側の損害を、亡くなった男性の相続人である当時85歳の妻や長男、介護福祉士であり特養併設の高齢者施設で勤務する三女らに対し、遺産の相続分に応じた金額の支払いを求めたものでした。

未成年者が引き起こした事故の損害部分を、親権者である保護者が代わりに支払う事例は過去にもありましたが、認知症高齢者が引き起こした事故の損害賠償責任をその子らに負わせたケースは非常に珍しいものです。ですが、超高齢社会となるわが国のこれからにおいて、高齢者の子の監督義務責任が問われることを暗示する事例でもあります。

この事例で裁判所が長男である子の監督義務違反を認めた理由として、当時91歳の父親に認知症の症状が進行し徘徊等があったにもかかわらず(要介護度4)、長男をはじめとする家族会議では特養に入所させる手続きもとらなかったことや、近くに住む介護福祉士である三女に対しても頻繁な訪問を依頼せず、訪問介護等の介護保険制度も利用しなかったという、在宅介護に必要な措置を講じなかったことによる判断です。

とくに私たちにとって関心のある視点としては、介護福祉士の資格をもち、高齢者施設で勤務している三女が、認知症で徘徊癖のある要介護度4の父親に対し、家族間というプライベートな関係であるにせよ、どのようなアドバイスや提案を行ったのかという点でしょう。

介護福祉士資格を持つ三女の民法709条不法行為による損害賠償責任の有無に関して、「―介護に職業として携わっている者として、認知症患者が徘徊して行方不明となる事例が多いことを認識し、徘徊中に交通事故等の事故に遭った事例も何件か見聞きしていたこと、家族会議においても父親を特養に入所させるかが話題になった際、特養の問題点を指摘して在宅介護を勧めながら、自己が父親の介護により深く関与することも、民間のホームヘルパーを依頼するなどして父親を在宅で介護していく上で支障がないような具体的な改善策を助言することもなかったこと、また、(父親が外に出ないよう)事務所出入口の事務所センサーに電源が入れられていないことを認識していたにもかかわらず、電源を入れる等の 徘徊防止等を講じておくべきと助言することもなかったこと」などから、認知症になった父親が自宅から独りで外出・徘徊して第三者の権利を侵害することのないような介護体制を整えておくべき不法行為法上の注意義務を負っていた、と結論づけたものです。

判決のバックグラウンドとして、相続人である家族ら介護者は、不動産を除く5000万円以上の預貯金を相続していることなどから、介護福祉士として近くに住む三女に、父親宅の訪問頻度を増やすよう依頼したり、介護保険の在宅サービスを利用するなどして在宅介護していく上で支障のない対策を具体的に講じなかった点や、父親が存命中、民間の介護施設や介護保険のサービスを十分に利用するだけの経済的余裕があったにもかかわらず、要介護度4の認知症である父親の監督義務を果たしていなかった、言い換えるならば、「相続するであろう分に見合った、十分な介護を行っていなかった」という結論に達したものと思われます。

今回紹介しました事例と、ご質問にある「法人の責任と、家族の責任」にひきつけて考えますと、いづれにせよ介護職に就く者としての専門性を示唆したものであったと思われます。先ほどの事例の場合、民法714条「責任無能力者の監督義務者の責任」との関係で、多額な相続を受けているという点と、介護のプロという視点から、家族が果たすべき介護のあり方を説いたものでした。一方、この高齢者が介護保険施設や、皆さんが勤めている介護サービス事業所で、行方不明になり列車事故を起こしたような場合であれば、プロである職業人集団として、法人に対し安全配慮義務違反があったと判断されます。

   デイやショート、グループホーム等で認知症の利用者を預かっているケースでの争点は、徘徊行為と事故につながった過去のヒヤリ・ハッとや、行方不明にならないようなハード面でのセキュリティー(赤外線センサーやオートロック式の扉)をどう設置機能させていたのか、そして徘徊行為に対してケアプランまたは個別支援計画上での具体的な実施するサービス内容がどうなっており、それに対応した業務が展開され、記録化されていたのか、が職業人として求められる視点となります。

Q49. からすの先生、いつも連載ありがとうございます。東京都内の特養で勤務する施設長です。今回ばかりは、と言いますか、先生の連載通りの防災対策を事前に準備していて本当に助かりました。二週続けての週末の大雪に見舞われた東京は、完全にすべてがストップした状態でした。大雪によって道路が遮断されるということは、職員が通勤できないということに加えて、モノが入ってこなくなるということを痛感し、それも二週続けて…。先生から言われておりました備蓄品の充実が功を奏しました。利用者や利用者の家族からも、「この雪で大丈夫か?」という不安や確認の連絡を頂きましたが、何よりも、災害対応の指示を的確にできたことが、勤めている職員の安心につながったと思っています。ですが、
この大雪がしばらく続き、また電線等が雪の重みで切断し、電気が使えなくなったことを考えた時、背筋が寒くなったのも事実です。
今後、どこまでの災害を想定することが必要になるのでしょうか? 

A49. 2月に入りましてからの二週続けての大雪の影響で、これまで雪に慣れていなかった地域での弱点が露呈されたような印象を持っています。これまでも大規模災害での対応としまして、想定される災害の種類を、地震や津波、豪雨や暴風、そして火災、それに加えて昨年の夏から秋にかけての竜巻といった感じで考えていたのですが、過去に雪が降ったとしても積もるようなことがなかったエリアでの大雪というのが、今回の災害といったところでしょうか。今回の大雪をも教訓とするのであれば、「どこに住んでいたとしても、災害の種類はともかくとして、孤立し日常生活がまったくできなくなることがある」といった点でしょう。「観測史上、最大で最高の積雪」という言葉が、何度もメディアを騒がせたことからも、これまで想定さえしてこなかった程の、過去の経験では計り知れないことが、ここ数年の間に起こっているということです。
 
特養である施設長からのご質問ですので、施設という頑丈な建物における大雪の問題としてはいくつかリスクがパターン化できると思いますし、在宅サービスとの関係では、デイなどの通所系サービスを休止すべきなのかどうか、悩まれたと思います。しかし一番の問題は、在宅で暮らす要介護者に対し、ヘルパーや配食等、訪問系を中心としたサービスのリスクは計り知れないものでした。
 
さて、ご質問に戻ります。「今後、どこまでの災害を想定すべきなのか…」というお尋ねでしたね。この「想定」という言葉から、転倒・転落や誤嚥をはじめとした介護事故での「過失責任」についての考え方を整理しておきましょう。「過失」とは、簡単にいえば「ミス」です。このミスは、損害の発生について予測することが可能であり、その結果を回避する行為義務があったにもかかわらず、回避義務を怠った場合に、ミスを犯した、つまり過失責任があった、と考えられる発想です。介護現場などでは、過去のヒヤリ・ハッとなどから、何度も転倒しており、次にもまた転ぶことが予想されるにもかかわらず、見守り等が不十分であったような場合に過失があった、と断定されるわけです。ですから、過去に一度も転んだようなことがない高齢者の場合では、転ぶであろうことが予測できなかったわけですから、転ぶであろうことを回避する義務もなく、その場合、不可抗力として考えられるわけです。
 
本題に戻りまして、どこまでの災害を想定すべきなのか。東日本大震災の津波に幼稚園児が園のバスとともに巻き込まれ死亡した事故については、メディアでも大きく取り上げられましたから、皆さんも記憶のあるところだと思います。判決では、幼稚園の園長に津波に対する情報収集の懈怠(けたい)があったとして、同園の運営法人及び園長に遺族からの損害賠償請求が認められた結果となりました。ここでの争点と、互いの主張を紹介することで、どこまでの災害を想定すべきなのかが見えてくるように思われます。
園側は、地震学者でさえ予想していなかったマグニチュード9.0の巨大地震であり、また二日前に起きた大地震の際にも津波は発生しておらず、ましてや石巻市の市街地を7m以上の津波が襲うことなど、予見できるものではなく、園側が園児の生命身体を守るべき保護義務・注意義務があるものの、注意義務の具体的な内容である予見可能性と回避義務に照らして考えた際、注意義務違反はない、と主張しました。
 
また、情報収集の怠りについても、地震後、停電となりカセットデッキのラジオを聞くこともできず、職員らが所持していた携帯電話にはテレビ等の機能がついているものもあったが、勤務中には携帯電話を手元に置くようなことはしていなかったため、保護者や園児の対応に追われ、携帯電話等で情報を確認する余裕はなかった、とも主張しています。
 
これらについて裁判所は、予見(予想)義務の対象は、マグニチュード9.0クラスの巨大地震の発生ではなく、3分間以上にもわたって続いた地震による揺れを現実に体感した後の津波被災のおそれであり、防災行政無線やラジオ放送による情報収集によって、大津波警報や高台への避難等の呼びかけを知ることは可能であり、小さい送迎用バスを眼下に海が間近に見える海岸近くの低地に向けて出発させることにより、津波被害に遭うおそれがあることについての予見可能性であると、判断しました。また、情報収集に関する過失についても、平成16年のスマトラ島沖地震が発生し、多数の死傷者を伴う大惨事が新聞やテレビ等で繰り返し報道され続けていたことや、今回の巨大地震によりラジオ放送等で震源地を確かめ、津波警報が発令されているのかどうか、などの情報を積極的に収集し、サイレン音の後に繰り返される防災行政無線の放送内容にもよく耳を傾け、その内容を正確に把握するべき注意義務があった、と判断しています。
 
また巨大地震による混乱で、保護者や園児の対応のため忙しかったとしても、地震の揺れが収まった直後からの園児らの安全に関する情報の早期収集を、園長は行う義務があり、保護者や園児らへの対応の必要性が、情報収集義務を免除し、その義務違反の有責性を否定する理由にはならない、と結論づけました。
 
「-どこまでの災害を想定すべきなのか…」 今回の、ふだん雪が積もらないエリアでの大雪や、これまで水害とはまったく無縁だったところでの浸水といった、過去の例から導き出した災害対策では、不十分であることが、ここ最近の自然災害のなかから私たちが学び得た点です。ですから、皆さんの法人や施設の立地を考え、「うちの施設(事業所)にとって、最悪な自然災害とは、どういった場合か…」を、季節や条件、時間帯まで最も対応困難なケースから整理することが有効だと思っています。そして、園児が津波に流された今回の裁判事例からも、法人のトップ(責任者)は、必ず情報収集に努めなければならないことが、義務である点も理解して頂けたかと思います。その際、情報収集の手段や方法についてマニュアル化しておくことが求められるでしょうし、最も難しいのは、情報を収集し分析した後、どう判断するのか、といった点です。施設に留まり続けるべきなのか、違う場所に避難した方がいいのか。また、大規模災害時に法人のトップが不在である場合の対応についても考えておく必要があるでしょうね。
 
今後、30年以内に80%以上の確率でくると考えられる首都直下型地震や南海トラフ地震については、東日本大震災の時よりも、長期にわたり物流が止まることも十分に予想されます。いまの備蓄品の量や内容を再度見直すことも必要なのかもしれません。

Q50. 都内の特養に勤務する生活相談員です。からすの先生、いつも連載を楽しみにしながら、施設内での研修で使わせて頂いております。4月からの新年度を迎えるにあたって、新人教育を実施しなければならない時期になるわけですが、施設内での事故が発生した場合、どの程度までの事故を家族に報告すればいいのか、迷っています。「その程度のことで、わざわざ連絡はいらない」と仰る家族もいらっしゃるのですが、ご家族への報告義務というのはどの程度のことを指すのでしょうか? 教えて頂けると幸いです。

A50. 日々の業務、お疲れ様です。利用されている本人を含めた、家族への報告義務は必要でしょうね。報告義務というよりも、説明義務と考えておいてください。そのことに関して、多少脱線するのですが、なぜ皆さんはクレームに対して拒絶感を抱くのか。たしかにクレームは誰だって嫌なものです。褒められるのとは訳が違いますから。クレームが嫌な理由としては、「ヤクザのように大声で怒鳴り散らすから」というのもあるかもしれませんが、結局は「面倒臭い」からなんです。では、何が面倒なのか。正確な情報を相手に伝えなくてはいけないからです。事故後のクレームなどでは、正確な事故の発生時刻、原因、誰が関係していたか、その方の既往歴等も頭に入っていなくては、十分な説明をすることができず、クレームを解決するどころか、不正確であやふやな情報によって逆に火に油を注ぎかねない展開にもなるわけですから。つまり、説明責任を果たすことの難しさですね。
 
質問に戻ります。どの程度(介護事故)までのことを家族に伝える義務があるのか、ですね。転倒や転落、誤嚥といった現象については介護現場では身近なものでありますから、イメージがつくのですが、介護事故やヒヤリ・ハッとの定義といったものはいまでも存在しない状況です。ですから、勤務されている法人や施設で、何をもって家族に連絡をすべき事故であるのか、の合意と統一を図っておく必要があります。
 
逆に、連絡や報告を怠ったために裁判となった事例を紹介したいと思います。正確には、連絡や報告を怠ったために、医療機関への搬送が遅れてしまったが故のトラブルです。医療訴訟においてはよく使われる争点の一つなんですが、「期待権の侵害」といわれるものがあります。一般的には、ある一定の事実や事象が存在する場合に、その事実から予測される法律上の利益が将来的に害された場合に争点となる表現です。最近の介護事故をめぐる裁判の争点には、必ずといっていいほどお目見えするキーワードです。
具体的な裁判事例からみてみましょう。事故当時78歳の女性が、平成21年7月17日 未明に施設内で転倒し、大腿骨骨折の傷害を負ったわけです。正確には、同日、午前5時30分頃、女性に体動があり起床したために、介護士が車いすで女性をトイレ誘導。女性は自力でトイレブース内の手すりを使って車いすから便座まで移動し、用を済ませている時に、「私、転んじゃったの」という発言があったわけです。その女性は、骨粗鬆症、認知症の既往歴があり、パーキンソン病、高血圧症、神経症、抑うつ状態、めまい等の診断を受け、パーキンソン病の重症度分類が4と診断されている方でした。施設長である医師は、家族を呼んで、医療機関での受診を介護スタッフに指示しました。家族が施設に到着したのがその日の夕方であり、その後、別の医療機関で大腿部の頸部骨折と診断されたのが、午後5時過ぎでした。その場合の争点の一つとして考えられたのが、転倒事故後の適切な対応義務違反に係る債務不履行責任でした。つまり、早朝に転倒し、大腿部の頸部を骨折していながら、半日以上も放置したという点です(東京地裁平成24年3月28日一部認容・一部棄却 控訴)。
また、最近のデイサービスをめぐる判決も、医師の診断を受けさせる義務をめぐって争われたものがありました。この事例は、事故当時87歳で、会話による意思疎通は十分にできた要介護度1の女性が、デイサービスを利用し、送迎車両から降車しようと席を立った際に転倒。翌日に大腿骨の頸部骨折が判明した事案で、速やかに医師の診察を受けさせる義務違反が認められたものでした(東京地裁平成25年5月20日一部認容・一部棄却 確定)。
具体的には、看護師である職員が、転倒した女性の右足のつけ根や腰の部分を確認した際、外傷や腫れ、熱感などの異常が認められず、女性が痛みを訴えつつも自力で歩行できる状態であったことから、医療機関への受診を行わなかったわけです。そのことについて医師に対し事故の状況やその後の症状等について説明を行い、転倒した女性の痛みの原因や必要な措置に関する助言を受けていれば、直ちに痛みを生じている部分を固定し、医療機関を受診するようにとの指示を受けることができたのに、翌日まで右足大腿部頸部骨折の傷害について適切な医療措置を受けることができなかったことによっての肉体的、精神的苦痛を受けたとして、法人側に損害賠償義務を課した事例でした。つまり、通所介護の提供を行っている時に、利用者の病状に急変が生じた場合、その他、必要な場合には、通所介護事業所側が利用者の家族または緊急連絡先に連絡するとともに、速やかに主治医または歯科医師に連絡を取る等の必要な措置を講ずべき義務を怠った、という内容です。ですから、事業所側には、事故を引き起こさないような安全配慮義務が課せられるだけではなく、事故後に適切なタイミングで医療機関に受診させなければならない義務までも負うということです。
 
ここで難しい点としては、高齢者なかでも認知症を患う方の場合、転倒等で大腿部の頸部骨折や圧迫骨折に到るような場合であっても、痛みや腫れ、熱などの症状が現れるのにタイムラグがあり、看護師を含めた医療関係者であったとしても、実際にレントゲン等で映し出さなければ骨折している事故であるのかどうか、微妙なケースが多々あるということです。ある例では、転倒により、確実に骨折しているだろうと病院に連れて行ったところ、医師から「たしかに圧迫骨折していますが、この一年ほどの間で複数回の骨折の跡がみられますよ」という言葉を聞かされることもあるわけです。介護スタッフからみて、利用者の軽い転倒であったとしても、必ず病院で受診させなければならないとすると、一日に何回、救急車を呼ばなければならないのか、というため息と同時に諦めにも似た感情が湧きあがることでしょう。
 
先の判決内容にもありましたが、「利用者の病状に急変が生じた場合」には、当然のことながら家族に連絡し、相談のうえで医療機関への受診という流れにはなりますが、「結果として」病状に急変があったとみられるような、見た感じでは分からなかったが、実は骨折していた、というような場合、誰が病状の変化を確定し、そのためにどのような情報から判断するのか、が非常に難しく悩ましい場面でもあります。
 
治療のために安静にして回復を待つという病院とは違い、高齢者施設を含め、今回の事例のような在宅介護サービスにおいては、高齢者の生活の一部としての機能を担っているわけですし、また自立支援という考え方からも、歩いたり、食べたりという行動への支援が業務の中心なわけです。ですから、積極的な展開を図ればはかるほど、転倒・転落や誤嚥のリスクは比例的に増す結果となります。
 
介護業界だけではなく、すべての産業界で、リスクの問題が信頼の問題にすり替えられているようなきらいがうかがえます。つまり、信頼関係が希薄になっているものですから、何等かの説明を行ったとしても、「そう言っているあなたは信頼できる人なのかどうか?」という見方を先にされてしまうわけです。介護現場でいえば利用者やその家族までもが低リスクを求めがちな昨今ですから、「説明責任を果たす」と同時に、信頼関係を育むような説明の仕方になっているのか、という視点も今後より求められるようになると思っています。

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