事件は現場で起きている

事件は現場で起きている

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Q1. 土地や山などの不動産を多く所有していた利用者さんが亡くなりました。介護事故での死亡ではありません。死亡そのものについては親族間での争いはないのですが、遺言書が2通出てきて、1通は「全財産長男に」というもの。2通目は「全財産次男に」という内容です。当然、認知症状があったので、遺言を書いた時に認知症があったのかどうかという点で、長男からは「介護記録を見せろ」という訴えがあり、次男からは、「長男から介護記録を見せろ、と言われても絶対に見せないでくれ」と言って来られました。
どうすればいいでしょうか?

A1. 大変難しい問題ですね。まず、遺言については、何通書いても良いことになっています。通常、直近に書いた遺言書が有効になるのですが、認知症状のある利用者さんの場合の遺言書については、遺言内容作成時において、意思能力・判断能力の有無が争点になります。

認知症があれば遺言書を書くことができないという意味ではありません。遺言に求められる能力は、高度な判断能力が求められるわけではなく、それよりも若干低い能力である意思能力程度でよいとされています。ですから、遺言ができる能力は、未成年でありながらも15歳以上と、民法でもゆるい規定になっています。

次に、認知症の方には遺言能力がない、つまり書いた遺言書はすべて無効になるのか、という点です。認知症であっても、「本心に復している」状況にある場合には有効です。その「本心に復しているか否か」の判断に、介護記録が非常に重要になってきます。

最後に、介護記録をどの親族の範囲にまで開示することができるのか? とくに、今回のように親族間で全く逆の対応を法人に求めてきた場合、どうすればいいのでしょうか?

介護の領域では、介護記録の開示や開示範囲について、いまだ十分に論議がなされていないように思いますが、医療領域ではインフォームドコンセントの流れを受けて、記録の開示・開示範囲について学会でもガイドラインが出されています。それによると、「該当する本人と最も交渉の程度が密な者」の意見が重視されるものとなっています。

今回の質問のケースで言えば、遺産という親族間の争いに法人が巻き込まれてしまったという構図ですが、死亡した利用者と長男・次男との交渉程度を法人が判断し、その選択結果を長男・次男にも通知するところまでしか、法人としての役割はないと思われます。その結果、長男・次男どちらかが法人に対して異議を申し立ててきたとしても、法人側に違法性はありません。

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Q6. 施設内ボランティアの養成講座の中で、亡くなった入所者の方の事例を取り扱った際「個人が特定できる」と受講者であるボランティアの方からクレームを受けました。当日の資料の記載は「Aさん 女性 認知症の87歳」といった具合に、個人が特定できないように施したつもりでしたが、取り扱った事例の内容自体がかなり具体的なケースであったため、補足として口頭での説明を加えた際、個人が容易に特定できる結果となってしまいました。このボランティア養成講座の受講者は事例の当事者である故人の友人であり、この指摘を受けて、ご家族に説明とお詫びに行きました。その際、家族の方からはかなり感情的に「残っているサービス提供にかかる個人情報(故人の基本情報や介護記録等)を破棄、もしくは見せて欲しい」という強い要望がありました。この破棄については、監督官庁である保険者に相談したところ、2年間は保管義務があるので、破棄すべきではないと言われました。また、「見せて欲しい」という要求には、利用者さんの家族に対する悪い感情(誰も面会に来てくれない、年金手帳を嫁に取り上げられたなど…)まで記録しているため、家族の方が見た場合、気分を害される恐れがあります。どうすればいいのでしょうか?

A6. さて、亡くなられた方の個人情報保護に関するご質問ですね。

結論から言いますと、家族の方から当事者についての個人情報に関する諸々のものを破棄して欲しい、という訴えがあった場合、監督官庁である保険者が言うような一定期間の保管義務について、介護保険法上筋が通っているように思われます。しかし、最近の判例等の流れを見てみますと、個人(自己)情報の開示請求と言う視点から見ますと、家族の方の言っていることに従った方がいいように思われます。

 ただ、破棄ではなく、家族の方にお返しするという方が良いかと思われます。この場合の家族とは、おそらく亡くなられた利用者さんと最も密な接触のあった親族と考えていますが…。その際、記録やメモ等の中に、返却(開示)したことで何か不都合な点があるようでしたら、返却は時として大きなリスクにつながり、記録上の些細な表現方法から、油に火を注ぐ結果になりかねません。家族の方への返却が難しいような場合には、内々にコピーを取っておき、内部文書として保管、当事者である家族の方の言うように、「原本は破棄した」とお伝えするのがよろしいかと思います。この故人についての自己情報の開示につきましても、生存されている場合と同様の取扱いが必要となってきます。最悪、名誉棄損という訴えも故人(遺族)に対して当てはまりますので…。また、「介護記録等を見せて欲しい」という点につきましては、個人(自己)情報の開示請求でありますことから、憲法21条に規定する「知る権利」に該当するものです。ですから、どのような記録の内容であったとしても、法人として記録を開示する法的義務があります。ただしこの場合、家族の方には「ご覧になった場合、ご家族の方が気分を害される内容まで記録されていますが…」という一言を付け加えてお見せするのがベターかと思われます。

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Q30. 都内で生活相談員兼施設ケアマネをしている者です。さて、今回はじめて相談をさせて頂くのですが、なんと言っても利用者さんやその家族からのクレームに頭を悩 ませています。クレームそのものと言うよりはむしろ、家族への対応に職員個々が同じような説明をしているにもかかわらず、微妙に伝えているニュアンスが違い、その差異に家族が不審に思う、といった感じです。以前、先生が連載された「記録のポイント」にもありましたが、当施設では、記録を書くこと以前にコミュニケションと言いますか、説明責任の部分に課題があるように思っています。都内という環境なのかもしれませんが、最近とくに権利主張を繰り返される利用者や家族への説明に頭を抱えています。

A30. 生活相談員と施設ケアマネの両方の業務をこなすのは、非常に難しく、また介護スタッフの教育や指導の面でもご苦労させておられる様子が文面から理解できます。日々の業務、本当にお疲れ様です。

そうですね。クレームへの対応については、いろんなレベルがあろうかと思います。
介護事故等のヘビーなものについては、「事故は必ず起きる」を前提に、事故を起こさないための取組みと、事故を起こした後の対応の二点に問題が集約されます。また、些細な要望や希望というレベルのものでは、職員にとってみれば「些細な…」ことのように認識したとしても、当の本人や家族にとってみれば、要望や希望をスタッフが聞いた段階で、「期待」がうまれるわけです。その期待を裏切ったとしても大きなトラブルにはならないのが一般的なのですが、介護事故等のヘビーなトラブルが起こった際、今までの「期待の裏切り」がマグマのように噴出し、事実からみた是非よりも感情的な問題に発展しやすい特徴があります。
そのなかで一番のポイントは、「伝え方」ですね。「記録」も大事なんですが、その前提に「伝え方」つまり、「説明責任・義務の果たし方」についてお話しします。

結論から言いますと、「説明の上手なスタッフは、記録も上手」という事実があります。この説明と言うのは、「おしゃべり」ではなく、あくまでも「説明」です。
一般的に、若手新入社員にとって、この「伝える=説明する」ことを苦手とする傾向は否めません。それは、彼らが能力的に低いからという理由では決してありませ ん。「慣れていない」ということです。原因は、彼らが受けてきた教育や生活環境に原因があろうかと思っています。少子化に伴って、一人の子どもに大勢の大人が関わっているわけです。子どもは、言い訳も含めた自らの欲求を要求するまでもなく、大人が先に準備してしまう環境にあるわけです。また、皆さんが受験したであろう介護福祉士や社会福祉士、またケアマネの試験形態も、五択での選択なわけです。「分からなければ、とにかく2番みたいな…」。
ですから、準備されたものを選ぶことに慣れている彼らですから、説明することを求められた場合、「どこから説明をすればいいのか…」、戸惑ってしまうわけです。

実際の裁判でも、介護職員の説明義務が問われたものがあります。
この裁判は、高齢者施設に併設しているデイサービスを利用していた85歳で要介護2、そしてまったく認知症が無い女性が、午後3時頃送迎のバスを待ってソファーに座っていたところ、念のためトイレを済まそうと前方にあった障がい者用トイレに向かったわけです。それと同時に介護職員は障がい者用トイレの入り口まで利用者を歩行介助したのですが、「自分一人で大丈夫だから」、「ここからはいいから」と利用者から二度強く拒絶されたため、介護職員は持ち場に戻ったわけです。職員は、利用者がトイレから出られたら歩行介助をしようと考え、相手にもそう伝えていたのですが、その後、利用者が障がい者用トイレ内で転倒され、右大腿骨頚部骨折となった事例です(横浜地裁 平成17年3月22日判決 一部認容・一部棄却 確定)。
争われた点は、利用者から強く拒絶されたとしても、職員に障がい者用トイレまで介助する義務があるのか、というものです。
皆さんの事業所でも認知症が全くない方の自己決定と、介護職員の対応について、この事例と同じような葛藤があろうかと思われます。
結果、裁判所は「…介護拒絶の意思が示された場合であっても、介護の専門知識を有すべき介護義務者においては、…介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして繰り返し説明し、介護を受けるよう繰り返し説得すべきであり、それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ、介護義務を免れることにはならない。介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性を説明しておらず、介護をうけるように説得もしていないのであるから、歩行介護義務を免れる理由はない」という判断を下し、法人側に7割の過失を言い渡しました。つまり、「繰り返し十分な説明義務を怠った」というのが理由です。

ですが、実際の介護現場で、とくにデイサービスの帰りで最もバタバタとしている時に、認知症のない利用者へ介助を受けた場合に防げるであろうリスクと、介助を受けなかった場合のリスクについて、それも二回以上もの説明責任が存在するものなのかどうか、私も非常に疑問に思っています。とくに、当人に認知症が無いのであれば、完全に自己決定権による自己の判断ですし、かつ排泄という非常にナイーブな行為に対して判断です。現実的に現場レベルの人員体制、業務の流れをみれば、この繰り返しの説明義務という点は、非常に現実的ではないジャッジであると言わざるを得ません。

ですが一方で、高齢者を対象とした過去三年間分ほどの裁判争点を整理すると、遺言関係や証券関係、株の取引きや訪問販売、そして有料老人ホームの高額入居金の解約をめぐるものなど、場面設定は多岐にわたりますが、論点でみるとそのほとんどが「判断能力が低下している高齢者への説明責任」を問うものでした。
つまり、すべての業界でいま、「説明責任」を問われる環境におかれていると考えた方がよさそうです。そういう意味では、介護業界での「説明責任」について、これまで十分に義務を果たせてきたかというと、疑問が残ります。「互いに心で分かり合えている」といったいわば疑似家族のような状況が一方で存在し、また相手が認知症等で判断能力のない方である分、「説明をして理解してもらう」より、「私たちがお世話をしている」という関係が強かったからに他ならないからです。

地域を限定せず、これから様々な難しい家族の出現が予想されるなか、利用者への説明責任はもちろんのこと、より家族への説明義務の果たし方が問われるように思いますね。

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Q39. いつも連載、楽しみにしております。関西の特別養護老人ホームで生活相談員をしている者です。勤務して15年目になりますから、介護保険制度がスタートする前の措置の時代から務めていることになります。この10年間程でとくに思うのですが、高齢である利用者からもそうですが、とりわけその家族からのクレームに日々悩まされる数年だったように思われます。先日も転倒事故があったんですが、家族からは「―おばあちゃんのことが心配なので、部屋にカメラをつけたいのですが…」という申し出がありました。ですが、「―おばあちゃんのことが心配…」というよりも、これまでの施設と家族との関係を振り返ると、「―職員が本当にちゃんと介護をしてくれているのか…」というように聞こえてなりません。
施設によっては、カメラを設置している法人もあると聞きますが、今後、転倒などの避けられない事故の事実確認のためにも、この家族が言うようにカメラの設置も積極的に考えた方がいいのでしょうか? 

A39. 日々の業務、本当にお疲れ様です。私も暴対のケースワーカーをしていた時期があったものですから、週初めの朝一番に鳴る電話には恐怖に近いものを感じていたものです。心労をお察しします。そうですね。ご相談の中にもありましたように、介護保険制度が保険契約としてスタートするとともに、介護が商品として位置づけられ、契約の当事者性も高まったいま、無責任な家族からのクレームも以前に増して多くなっています。

これまでも、講演等で介護事業所における「記録」の書き方を、ケアプランとの整合性から整理する作業をお勧めしてきました。つまり、転倒・転落や誤嚥等の介護事故が起きた場合、少しでも法人側の過失を少なくし、より科学的介護の根拠となるのが「記録」である、という発想ですが、カメラ等での録画をもって、犯人捜しをする行為が、次に問題になるのではないかと思っています。最近の報道でも、高齢者施設内での職員による虐待行為を、家族が仕掛けたホームビデオから明らかになった事件もありました。

まず、施設内でのカメラの設置に関しては、プライバシーの問題を考えなくてはなりません。プライバシーの保護とは、いまから50年ほど前の判例で「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」と定義されています。高齢者施設のなかでは「個人情報の保護」と言い換えた方がより適切であるように思います。個人情報保護と高齢者施設との関係につきましては、過去の連載でも災害時の個人情報の取り扱いについて触れましたが、今回のご相談内容は、災害時を含めた緊急時というよりはむしろ平時の監視(チェック)を含めた個人情報の取り扱いについてということになりますね。

過去の裁判事例の中にも、転倒のリスクとカメラ設置における録画保存が間接的な争点になったものも存在します。特別養護老人ホームではなく、介護付き有料老人ホームの入居者が、食事中の誤嚥で亡くなったことに関する開設者の安全配慮義務が問われたケースでした。高齢者の誤嚥事故について、有料老人ホームの法的責任をめぐるケースは、法律雑誌等で公刊されたはじめての裁判事例でした。

判決結果としては、「当該入所者は常食を提供され、時折食事介助を受けることがあったものの、通常は自力で食事をしていた。当該入所者が食事介助を受けたのは、本件事故前の約三ヵ月間で10日程度であり、本件施設の介助職員等が記録していた介護日誌や看護記録を見ても、むせやせきを始めとする嚥下機能の低下をうかがわせる具体的症状が観察されたとの記載は存在しない(平成19年9月19日の介護日誌には、朝食時にむせ込みが見られたとの記載が存在するものの、同日以前の介護日誌や、同日後の同月20日、同月21日の介護日誌を見ても、食事の際にむせ込み等があったことはうかがわれず、上記の同月19日の記載をもって、直ちに嚥下機能の低下を具体的にうかがわせるような症状であると認めることはできない。)」として、誤嚥による窒息が生ずる危険があることを具体的に予見することは困難である、という判断から、遺族側の請求を退けた内容となっています。

この論議の中で、当該施設では、食事の様子を監視できるカメラが設置されていたわけです。しかし、誤嚥事故発生後、食事介助を受けていた10日間分の保存されていた録画が消去されていたことの是非をめぐって、「―介護サービス提供中に発生したすべての事故に関して、録画されたビデオテープを保存する具体的な義務を課した法令等は見当たらない。」という理由から、録画保存義務ついても棄却されたものでした(東京地裁平成22年7月28日棄却確定)。

一般的な個人情報の保護に関しましては、過去の連載でも触れたところでもありますが、生活相談員クラス以上の皆さんにとっては、今後、いくつかの切り口といいますか視点が必要になってくるものと思われます。大きく分けると以下の3つです。①「経済・消費上」のリスク、②「防犯上」のリスク、③「身体保護上」のリスクです。①「経済・消費上」の視点では、消費者であり経済活動を営むことのできる人に対し、個人の情報が漏洩することで、その情報をもって消費を強いられる、つまり詐欺的な騙しの手法からの触手が伸びるというリスクが考えられます。②「防犯上」の視点は、一番分かりやすいところですが、住所や氏名、電話番号が漏れてしまうことで、ストーカー被害にも及びやすい接触や接点を容易にしてしまうというリスクです。③「身体保護上」の視点では、今回の被災地調査でも利用者の個人情報(氏名、住所、要介護度、既往歴、食事形態、家族との連絡先等)の把握の不備が、受入施設にとって利用の生命を左右することにつながるといったリスクがあげられます。

この連載記事をご覧になっている皆さんにとっての個人情報保護の視点からみたリスクは、おもに①「経済・消費上」のリスクと②「防犯上」のリスクに該当するように思われます。ですが、一般的に、高齢者施設で生活をする利用者と、個人情報保護との接点、つまり要介護高齢者にとっての個人情報保護という意味では、③「身体保護上」のリスクに尽きると思われます。ですから、利用者の個人情報を鍵のかかったロッカーにしまい込むのではなく、防災上の保護に加え、自己情報の開示請求があった際に、即座に提出できることが、本当の意味での利用者にとった個人情報保護という観点です。

となりますと、ご質問にあったカメラの設置に関しては、要介護者に対する個人情報保護の考え方に照らしていうと、身体保護上のリスク回避を主にしていることから、説明責任のさらなる工夫や、記録方法・内容の充実によって目的は十分に達せられると思われます。つまり、今回のご相談に限定して言えば、監視や責任追及を目的としたカメラの設置は、必要ないということになりますね。

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Q42. 私のところは、特別養護老人ホームとケアハウスが併設し、また上層階には有料老人ホームを有する法人です。先日、有料老人ホームに入居されている軽い認知症のある女性の方が、ある音楽グループのコンサートに行きたいと強く主張されたものですから、ご家族に連絡し、ご本人の希望通り連れて行ってもらえないか、とお願いしました。すると、「-施設の職員の方が、いざという時の判断に慣れているし、おばあちゃん自身もその方(職員と一緒)喜ぶから…」という返答でした。入居者に確認したところ、「-家族よりも、あなた(職員)との方が楽しい…」という回答で、介護スタッフの分のチケットも入居者が支払われ、彼女にとっては念願のコンサートに行ってきました。しかし、その帰りにタクシーから降りようとしたところ転倒し、右大腿骨の頚部を骨折してしまいました。
家族からのクレームにまでは到っていないのですが、高齢者の要望について、家族がするべきことなのか、また施設で実施する方が望ましいのか、施設の責任と、家族の責任との境界が分からなくなる時があります。

A42. この相談は、都内にある法人の施設長からメールで頂戴したものです。内容だけをみても、法的に問題となりそうな点が多々ありますが、今回の質問については、質問に対する回答ではなく、「どこまでが家族の責任であるのか」に限定して、解説を試みたいと思います。
 
ちなみに、前月の質問メールで最も多かった内容を精査すると、今回のケースも含め、「家族の責任」についてのものが多くありました。たとえば、施設内で介護事故が起こった場合に怒鳴り散らされる家族からのクレーム等、「―それは家族間での問題でしょ…」といった性格のものです。
 
今回の質問のように、より具体的で今日的なケースについて、じつは「親の面倒をいったい誰が看るのか」という問いかけは、民法学者のなかでも論争にまでなった、とても古くて新しい、いまだ解かれていないテーマなんです。
 
先程の参議院選挙で圧勝した自民党の改憲草案でも、前文に「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」とあり、24条1項に「家族の助け合い義務」の規定を新設するほど、家族の責任や役割が問い直されています。
 
今回の質問内容とも重なりますが、高齢者施設と家族責任については、利用料をめぐって、高齢者とその家族、また扶養義務者間である家族同士での費用の分担について争うケースが最近では目立ちます。扶養申立事件の裁判例でも、扶養されている高齢者がグループホームに入所しているその費用のうち、被扶養者の収入額を超える部分の負担をめぐって、扶養義務者間の経済状況等を詳細に認定し、家族らに負担すべき額を言い渡した事例が存在します(東京高平17.3.2決定)。

年老いた親の面倒…。いったい誰が看る義務を負うんでしょうか?
現在の民法第877条では、面倒を看る扶養義務者について、次のように規定しています。①.直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。②.家庭裁判所は、特別の事情があるときは、前項に規定する場合の外、三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができる。③.前項の規定による審判があった後事情に変更を生じたときは、家庭裁判所は、その審判を取り消すことができる。また、扶養の程度・方法については、同法第879条で、当事者に協議が調わないとき又は協議をすることができないときは、扶養権利者の需要、扶養義務者の資力その他一切の事情を考慮して、家庭裁判所がこれを定める。というものです。これらの規定は、戦前の「家」制度を中心とした封建主義的な親族関係からの脱却を意図して、夫婦とその間との子どもを基礎にした扶養理論への転換を意味しているわけです。

ですから、現在に到っても法的な考え方としては、配偶者と未成熟子に対する「生活保持義務」と、年老いた親の面倒看に対する「生活扶助義務」とに区別して考えられています。著名な民法学者の文学的な表現をお借りすると、配偶者と未成年の子に対する「生活保持義務」は、「最後の一片の肉、一粒の米までをも分け食らうべき義務」とされ、老親の扶養義務である「生活扶助義務」は、「扶養義務者が自己の地位相当なる生活を犠牲にしない程度」と規定されています。

これらは、誰が、どこまでを扶養するのかといった程度を明らかにしているものですが、方法としてはあくまでも仕送り等の経済的扶養であり、介護を伴うような引き取り扶養までを意味するものではありませんでした。現在、介護を伴った親の面倒看について、民法上の規定はなく、法的な整理がされないまま、介護保険制度が始まったと考えられます。

しかし、現在の介護保険法の中でも、保険料の徴収について保険料収納率に問題のある国民健康保険制度の二の舞いを演じぬようにと、世帯主や配偶者にまで連帯納付義務を課している点や、また現実には介護サービスを利用した場合の1割の利用料を、扶養している家族がその足らない部分を負担するなどの経済的扶養を行っているケースが多々存在します。

「介護を伴う親の面倒を、誰がどの程度まで行うのか…」という今回の質問について、法的には拘束力を含めた扶養の規定はありません。法的に存在しないんです。
となりますと、現在考えられる老人介護と家族との関係については、財産を分け与える代わりに介護をしてもらうという扶養契約型、また第三者によって介護の提供を受けるという有料老人ホーム入居型が考えられますが、介護をめぐっては、「個人」、「家族」、「社会」、「市場」という四つのレベルで考えなければならない複雑な様相であることだけは確かなようです。

ただ、現状を整理しますと、厚生労働省の2010年に実施された国民生活基礎調査では、高齢の親と成人の独身者だけで生活している世帯の割合が約400万世帯と、増加傾向にあります。また、在宅で介護をしている者の続柄では、「嫁」から「娘」へと割合が逆転し、くわえて「息子」に介護される老親の割合も増加しています。

ドラマに出てくるような、最期を涙で締めくくる「家族介護」を理想とするには、難しい経済事情と社会環境の大きな変革がなければ、絵に描いた餅にしか過ぎない「家族による助け合い」となってしまうんでしょうね。

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Q62. 都内で生活相談員をしている者です。ここ数年、とくに感じることなんですが、入所者の家族からのクレームや苦情が後を絶ちません。もっともなご意見であれば、苦情といえども有難く改善に取り組めるのですが、無理難題に近い要求をされ、それを現場の職員にも強いるようなこともあるものですから、職員も嫌気がさしてその家族の利用者の担当を外れたいであるだとか、フロアの移動を申し出てくるだとか、それでなくても人員不足ななか、勤務のローテーションにさえ支障が発生するまでに至っています。
家族からの要求をどこまで聞き、また叶えることが望ましいのでしょうか? 

A62. これからの介護現場では、クレームや苦情がいま以上に増えることだけは間違いはありません。その背景につきましては、以前の連載でも触れたところですから省略しますが、高齢者の層や家族の層が変わってきただけではなく、介護保険法の改正によって、ある一定の高齢者には自己負担が増すわけですから、その分、利用者本人や家族からの要求も高くなることは予想できます。
 
さて、今回の質問ですが、高齢者を預かる施設として、家族からの要望をどこまで叶えることが望ましいのか、つまり、どこまでが施設の責任で、どこまでを家族が負うべき責任の範囲なのか、という点ですね。
 
過去の連載でも取り上げましたが、在宅介護を受けていた認知症の高齢者が、徘徊中に鉄道の駅構内に侵入し列車に衝突。その賠償をめぐっての判例を紹介したことがありました。地裁の判決では、配偶者と長男である相続人に、認知症高齢者の監督義務があるとした内容でしたが、高裁では、認知症高齢者の配偶者である妻の責任だけを問うた結果となりました。その判決に到るまでの経緯が、今回の質問のヒントになると思われますから紹介します。
 
その前に、この事件の背景には、事故を起こした認知症高齢者がかなりの資産家であり、その配偶者や子どもたちも莫大な資産を相続することから、高裁では損害額の半分を相続人らに支払わせるという判断を下しました。
最終的には最高裁へ上告した事件ですが、このケースでは憲法判断を要する内容ではないため、高裁の決定がほぼ確定になると考えられます。
 
事故当時、84歳だった妻にのみ監督義務者としての責任が肯定された理由としては、「配偶者である」という点です。高裁は、民法752条の夫婦間における「同居し、互いに協力し扶助する」義務をあげ、婚姻中において配偶者の一方が老齢、疾病または精神疾患(認知症)により自立した生活を送ることができなくなり、徘徊等により自傷他害のおそれをきたすような場合には、夫婦としての協力扶助義務の一環として、その配偶者の生活について、自らの生活の一部であるかのように見守りや介護を行う身上監護義務があるとしたうえで、民法714条「責任無能力者の監督義務者等の責任」から、配偶者である妻を監督義務者に該当すると判断したものでした。
 
さらに配偶者には二分の一の法定相続分があることから、認知症の夫をもつ妻には、その加害行為によって生じた損害を支払うことも可能という考え方です。
 
一方、家長たる長男においては、監督義務者に該当すると判断した地裁に対し、高裁では成年後見の申立てがされれば成年後見人に選任される可能性が大きかったと推認されるものの、長男については後見人ではなかったことから、監督義務者としての責任を免除されています。この考え方からいえば成年後見人に選任されていたならば、妻である配偶者同様、認知症になった家族の監督義務を負うことを示唆するものです。
 
では、今回の相談に引きつけて、特養を含めた老人ホームに入所している高齢者の配偶者や、他の家族の責任についてはどうなるのでしょうか。
 
今回、紹介しました鉄道事件の判決から類推すると、配偶者以外の家族(息子や娘)は、成年後見人に選任されていないとするなら、身上監護上の義務はなく、民法の扶養義務規定からも、年老いた親を成人になった子が看る義務は最低限のものでありますから、老親を看る責任はほとんどないことになります。となりますと、親を老人ホーム等に入所させている場合には、介護が必要である老親と施設の母体である法人との契約ですので、何か施設内で介護事故等が発生した場合であっても、利用者と法人の理事長(営利法人であれば代表者)との関係に基づく請求なり賠償であって、過度なクレームや苦情を利用者の家族が申し出ることこそ、そもそもお門違い、という考え方になります。さらに、入所している利用者の配偶者である場合、今回の高裁判決に従えば、夫婦間において配偶者の一方が老齢、疾病または認知症のような精神疾患により自立した生活を送ることができなくなった場合においても、生活全般に対して配慮し、介護し監督する身上監護を含めた協力扶助義務を配偶者は負うことになりますから、高齢者の老人ホームへの入所は、配偶者が存在しない場合もしくは配偶者がいたとしても例外中の例外的な現象になるわけです。くわえて配偶者には二分の一の法定相続分の権利も有しているわけですから。
この場合であれば、配偶者が本来義務として行うべき他方の配偶者の介護を、老人ホームに託しているという形をとりますから、老人ホームに入所していない配偶者からの施設へのクレームや苦情も、これまたお門違い、ということになります。
 
介護保険法上の介護サービス利用契約に基づき権利である、という考え方もできますが、費用のほとんどを税金と皆から集めた保険料で賄っているこの制度の、サービスを受ける権利性など、あってないようなものです。
 
ここまで話を整理しましても、介護現場で日々起こっている介護事故やクレーム・苦情に対して、より有効的な回答は導けません。クレーマーな家族に法律論で話をしたところで、火に油を注ぐだけでしょうから。民法で規定する夫婦間の協力扶助義務や家族責任、または今回紹介をした判決が間違っているのか、はたまた親を施設に預けておいて、過度なクレームや苦情を申し立ててくる家族の方が間違っているのか…、今後ますます増加することが予想されるクレームや苦情について、介護現場は介護現場での対応を図っていく必要があるでしょう。これまでのリスクヘッジの考え方では通用しません。リスクが発生する背景や環境が、過去のものとは異なるからです。人材難や報酬改定で厳しさが増す介護現場ですが、この10年間があなたにとっての勝負の時です。この10年を乗り切りさえすれば、そのための工夫や自己研鑚を怠らなければ、次のステージに移った介護現場をリードできるのは、そうあなたです。
 
この連載も、これが最後となりました。5年間、質問を投げかけて下さいました皆様、そして読み続けて頂きました皆様、ありがとうございました。
 
10年後、この介護業界がどうなっているのか。またその時にお会いしましょう。皆様への感謝の想いを込めて。

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